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一部にかなり人気があるカバレフスキー ロシアの現代作曲家として世界に名高い人物だが、不思議とスコアの販売は殆ど無く、交響曲全集もほとんどなければ演奏の機会もない そして、交響曲に関してはWikipediaにもほぼない そもそも子供向けの曲で有名なカバレフスキー 一番有名な曲は恐らく運動会でも流れる組曲「ギャロップ」の道化師のギャロップでしょう 曲は好かれても人間性が嫌われるカバレフスキー というか、ソビエト時代にそれなりの地位にいた人物はだいたい嫌われるもんですが 第二次世界大戦中は、多くの愛国的な歌曲を創り、1940年にはソ連共産党にも入党。戦時中に運営された『ソビエト音楽』誌の編集者も務めていました 1948年にジダーノフがソビエト音楽のとるべき進路についての決定を宣言する際、当初カバレフスキーは、形式主義者の一人として名が挙がっていたにもかかわらず、当局とのコネのおかげで自分の名前を消してもらうことが出来たとか 一説によると、カバレフスキーはソビエト連邦作曲家同盟の指導的地位にあったがために、要注意人物とされたにすぎないという プロコフィエフとは違って「社会主義リアリズム」の擁護者でもある 子供の演奏技術と大人の審美眼との埋め合わせを特に狙った作品を書いただけでなく、存命中は、25のソ連の学校で音楽教育の実験的カリキュラムを設定し、カバレフスキー自身も暫く7歳児学級を担当し注意深く聴き取ることや自分の印象をどのように言葉にするかを指導したとか 音楽活動に対してソ連から受けた名誉は数多く、少なくともスターリン賞を2度受賞している 音楽教育界のかなりの実力者となり、1962年には音楽芸術教育の委員長に、1969年にはソ連邦教育科学アカデミーの芸術教育部門科学委員会の会長に、それぞれ選任。また、音楽教育国際協会の名誉会長職も受け、ソ連平和擁護委員会の会員や、また、ソ連国際友好推進委員の代表も務めた。 この交響曲4番は隠れた傑作と言う人もいますが、カバレフスキーを語るスレでみた内容で「裏ぶれた場末の映画館で、ソ連の歴史物モノクロ映画を見ているときに流れているような音楽。誰にも知られずに密かに面白いものを聴いてしまった感じ」というのがあったが、言えて妙である 確かにサイレント映画の伴奏演奏家を務めていたのもあってなのかは知らないが、この4番は全楽章がまるでモノクロ映画音楽のようで各楽章のボリュームは満点 熟成された構成と作曲技法は実に重たく力強く、それでいて強固な精密機械のよう 作風はショスタコーヴィチとプロコフィエフを足して二で割った感じというのが一番的確な気がする ソビエト時代の音楽が好きな人にはオススメ 4楽章はなかなか聴き応えあります おまけ 組曲「道化師」 第2曲 ギャロップ PR |
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