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数ある気に入ったクラシック曲がある中でも、記事一個書くにはうーん(´ `;)となってしまうような曲をここにいくつか詰め込みます
Carl Czerny 「Symphony No. 6 in G Minor」
18世紀オーストリアで活躍したピアノ教師・ピアニスト・作曲家のカール・ツェルニーの交響曲。 ベートーヴェン、クレメンティ、フンメルの弟子であったツェルニーで一番有名なのはピアノ協奏曲のようだけど、個人的にはこれも好き 黄金伝説のBGMに、30番練習曲の第1番、6番、10番、12番がよく使われる。 Zygmunt Noskowski 「Symphony No. 2 in C Minor "Elegiac"」 ジグムント・ノスコフスキ19世紀頃のポーランドの作曲家 作曲家としてだけでなく教師としても名を馳せ、指揮者や音楽ジャーナリストとしても有名だったらしく、世代の重要なポーランドの作曲家は実質的にみなノスコフスキに教えを受けており、最晩年においてはポーランドの指導的な作曲家の一人として認められていたそうです ポーランドの最初の交響曲作家らしい Paul Dukas 「 Symphony in C Major 」 「魔法使いの弟子」で有名なデュカスの唯一の交響曲 管弦楽曲は7曲程度しかなく、更に現存しないものもあるため非常に貴重な一曲。 フランス近代音楽を牽引した作曲家のなかなかダイナミックな曲 Felix Draeseke 「Symphony No. 3 in C Minor "Symphonia Tragica" Op. 40」 リストやワーグナーを中心とする新ドイツ楽派の作曲家の一人 ドレーゼケの音楽は、昔はドイツ国内で頻繁に演奏されたそうですが、彼自身が気難しい人で一般の聴衆に人気が出なかったそうです ナチ・ドイツ時代になると、ドレーゼケの音楽は高く評価され、ブルックナー、マックス・レーガー、などと同列に並べられるようになっそうですが、それはナチの自国尊重の為の支援によるものであり、重く疑わしい栄誉であったとか 第二次世界大戦後、一度は忘れ去られた存在でしたが、20世紀が終わるに連れて、ドレーゼケの音楽は新しい「録音」によって再び光を当てられるようになりました Hans Rott 「Symphony in E major」 18世紀のウィーンの作曲家で、作曲家としては習作的な管弦楽曲を残したに過ぎず、今日では無名 しかし生前は恩師アントン・ブルックナーや学友グスタフ・マーラーから高く賞賛されており、ブルックナーは、いつしかロットが大収穫をもたらすことを信じていたらしい。マーラーは「交響曲第1番」において、ロットの交響曲から引用を行なったそうです 困難に耐えぬいたマーラーに対し、ロットは精神病に打ちひしがれてしまい、汽車の中で「ブラームスが爆弾を爆発させた」などとあらぬ妄想を口走り、そのまま精神病院に収容。一時的に回復して、室内楽曲の作曲に着手したこともあったものの、やがてうつ病に落ち込み何度かの自殺企図の末、1884年に結核により他界、享年25歳 この曲の日本初演は、2004年日本フィルハーモニー交響楽団によって実現しました マーラーの音楽の特色のいくつかの先触れとなっており、とりわけ第3楽章はマーラーのスケルツォに酷似しています。終楽章では、ブラームスの「交響曲第1番」にそっくりな主題が PR |
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