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【2017/12/17 22:45 】 |
聴覚と味覚と和の心
【WARNING】
この先には私的音楽論が含まれています。そういうのが嫌いな人には推奨しません
酔った勢いで書きましたので、文章が変かもしれません
それでもいいという方は、追記をどうぞ
尚、読んでる最中気分を害した方は速やかにブラウザを閉じて私の存在を忘れてください



突然ですが、皆様は食事の時何を考えますか?

特に何も考えていないという人が大体だと思います。実際、美味しいと思えばそれでいいし、食事なんて滋養があればそれでいいというような味覚すら気にしない人もいるかもしれません。別に否定するわけではありません。価値観はそれぞれですし、食事という行為すら嫌いな人だっているのでそういう考えなんだなというだけになります

私の考えと言いますと、その実私は人生において食事に関してはとても重視しておりまして、そりゃ性欲、睡眠欲に並ぶ人間の三大欲求の一部ですし(四大欲求とする意見もありますが)人間生活において深く心身に根付いているものと思います。
私の場合、食事の際に味わって、食材の味や香りを楽しんだり味付けを探ったり、またその食事の行為やそこの雰囲気を楽しんだりしています。そして、美味しいものに出会えればそれだけで幸せですし、今ひとつのときは私はしょんぼり(´・ω・`)してます。だから私は食事に一喜一憂し、また食事のために時間や体力をかけるのです。

またまた突然ですが質問が変わります
皆様は音楽を聴くとき何を考えますか?

音楽の趣向とは、例えばテンションが上がる曲だったり、歌詞が好きだったり、ただ単に雰囲気がすきというような漠然とした意見もあるかもしれません。通な人になると、テクノでもビートやキック、アレンジ性や変なサンプリングをかっこ良く仕上げる楽しさを楽しむことがあるでしょうし、ラップならリリックやライムだけでなく曲外のビーフを楽しんだり、はたまた演歌だったらこぶしやヴィブラート、ジャズではインタープレイ、そしてクラシックなら表現力…音楽学が存在するように、多種多様かつそれを個人的趣向で興ずることができるのも音楽の魅力といえるでしょう。

私の意見としては、クラシックに限定して話をさせて頂きます
私がクラシックを聴いてる時は、所謂「味わっている」状態になります。
よく音楽を料理に例える人も多いですが、私はそのとおりだと思います。特にクラシックは、味の調和や舌触り、素材の味、ひいては食べ合わせまで、一つのコンサートが料理のフルコースのようにも思えます。ここで、2つの質問が繋がります


私的耕論なので、あくまで私個人の意見で語らせて頂きます
私は音楽も料理も同様に、味わうときは味わいます。作曲者はどんな意図を持ってこの味を引き立てたのか、何故ここでこの味覚を持ちだしたのか、私達に何を楽しませたいのか、はたまた、指揮者はこの料理を今度はどんな味付けで私たちに出すのか、このコースを組むことによって、どんな味を引き出してくれるのか、このオーケストラはどんな個性的な味を持っているのか…演奏会の椅子に座った時から、またはパソコンにCDを入れてから、期待感に包まれます。まだ知らぬ味わいを求めて、ナプキンを用意し姿勢を正して、目を閉じて感覚だけに集中するのです。

料理も作ることも一興であるように、音楽も自分で生み出すのがまた一興でもあります
自分で作って身内で楽しみ、改めてプロの凄さを知るという楽しみ方もあるでしょう。しかし私は、そこで音楽と料理との相違が発生し、また生まれついての職人気質が遺憾なく発揮されるのです

音楽の演奏会とは、料理で言うならばおもてなしの料理となります。チケット代もとって、最早お店を出したというレベルでもあるでしょう。ならばどうして適当でいいなどという発想になりましょうか。

毎度突然で申し訳ないですが、戦国武将石田三成の話を引用します
長浜城主となった豊臣秀吉は、ある日、領内で鷹狩をしていました。その帰途、喉の乾きを覚えて、ある寺に立ち寄って茶を所望したところ、対応した寺の小姓は、まず最初に大ぶりの茶碗にぬるめの茶を一杯に入れて出したそうです。喉の乾いていた秀吉は、それを一気に飲み干したあともう一杯たのんみました。すると次に小姓は、やや小さめの碗に、やや熱めにした茶をだしたそうです。秀吉が試みにもう一杯所望したところ、今度は小ぶりの碗に熱く点てた茶を出したそうです。
相手の様子を見て、その欲するものを出す、この心働きに感じいった秀吉は、その小姓を城に連れて帰り家来としたそうで、その小姓こそ石田三成だったそうです。

また、千利休の話を出しましょう。
昔、スイカに砂糖をかける作法が戦国時代末に中国より伝えられていたそうですが、飛喜百翁という人物が千利休を招いた折にスイカに砂糖をかけたそうです。しかし、利休は砂糖のかかっていない部分だけを食べ「百翁はおもてなしというものをしらない。スイカにはスイカのうまみがあるのに、茶人らしからぬふるまいだ」と語った。と言う逸話があるそうです

この2つの話を例に出したのはほかでもなく、『もてなしの心』というとても重要な精神が存在し、また、それこそが日本人に古来より存在する『和』の心であると私は考えています。

食における『和』の心とは、食材の味を引き出し、また本来の味を際立たせ楽しむものであると私は考えます。それは日本食に限らず、コースを持ったフランス料理やはたまた満漢全席のような絢爛豪華な料理でも言えることであり、メインを引き立たせるためにオードブルや口直しなどが用意されており、またそのひとつひとつに熟練した、手間暇をかけた最高の調理法を持ってして作った技があるわけです。それこそお客様に対する『もてなし』の心であり、また素材そのものの美を引き出すことにより素材そのものやそれをつくった人を尊ぶ精神こそ、日本が世界に誇る『和』の心であると、私は思います。
常に誰かをもてなすために修練を欠かさないことや、最高のものを届けようとするその『もてなしの心』こそ、私が考える日本人の美徳であると考えます。それはどんな社会でも言えることであり、他人を『気遣う』ことや『もてなす』心こそ、誰もが忘れるべからず、常に心がけることなのではないでしょうか

音楽についても同様のことが言えます
奇しくも、音楽における「Harmony」は音楽の根幹でもある『調和』を意味し、また『和』という漢字を含む言葉には「和解」や「親和」そして「平和」が存在します。

だからこそ私が生み出す音楽に妥協せず、また人を幸せにする力を信じています。
そのためにも、作曲家が何を意図し、こんな味付けにしたのか。引き出したい『主題』とはなにか、そして、私達がどのようにしてそれを伝えていくか、際だたせるために前菜を何にするか、そんなことを考えて必死に演奏会のプログラムを組みます。人々が料理に感動し、また一喜一憂するように、常に最高のものを提供し、また新しく素晴らしい味覚を与えその人を新たなる境地へと導く。それは、生み出す側としても、味わう側としても至高の喜びであると、私は信じています
また食す側も、その細部の一音一音に関しても味わい、また噛み締めるほどにあふれる旨みに恍惚を見出すのです。それこそ、生み出した人や食材への礼儀であり、食べる食べられるという真剣勝負である関係を更に高貴で美しいものへと昇華させることができるのだと思います。
『おもてなし』には、受ける側にもそれを受ける相応の礼儀が必要となるのです。


しかし私も所詮素人なのでわかる味覚も嗅覚も聴覚も非常に狭いものですが、食は真剣勝負として精一杯受け止めています。音楽然り、だからこそ「音楽に関してガチ過ぎてついていけない」と言われたときには愕然としたものです。真剣に受け止めない者が真剣に伝えることができるのでしょうか。そして『もてなしの心』とは教わって知るものなのでしょうか。作曲家、指揮者、演奏家の思いを少しでも汲み取ろうと思う気持ちは間違いなのでしょうか

音楽で誰かを幸せにしたいという気持ちや、最高のものをリスナーに届けようという気持ちはジャンルを超えて様々なアーティストが持っていることでしょう。
料理も例に漏れず、適当に作ってだそうなんて思ってお店で料理を出す人などいないと思います(そんなの学食で充分)食べた人を少しでも笑顔にし、またその笑顔のために料理を作り続けるのだと思います。仕事も同じ。お客様にどれだけ誠意的に尽くせるか、また気づかない中にもどれだけ自分の丁寧な思いを込めて仕事を出来るか、仲間にどれだけ『調和』し組み上げていくことが出来るかが重要であると思います。
少なくとも私はそのために、技術を磨きたいと思っています。それをなくしては素材そのものに失礼であり、ひいては音楽や食における冒涜であると感じるから
仕事として音楽をする人には、メジャーなものを作り続けるような人も多いかもしれない。私は学生であるからこそ、人の知らないような珍味美味を探りだしてすばらしさを伝える。そんな夢を持っていました


私が『生み出す側』を退いたのは、こんな考え方をだいたい皆しないような時代遅れな思考であると知ったからです。みんなはなんとなくでいいようですし、そういう精神は教わらないとわからないしそんな気持ちを持つ気はないようです。

それでも私は『和』の精神が必要であると思うからこそ、このブログを続けるのです
少しでも隠れた名品を伝え、また耕論していく…そんな姿を憧れたからです


もしここまで読んでくださった方がしたとしたら、戯言にお付き合いいただいて至極光栄感謝感激雨あられです
またさらにこのブログで紹介する珍味珍景を味わい、世界観を広げて舌を肥やしていってくだされば光栄に思います。

駄文失礼
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【2012/02/05 01:24 】 | 【私的音楽論】 | 有り難いご意見(0) | トラックバック(0)
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